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3: 他者のことはわからない

わからない部分が必ずあるだろうということ

主に、自分が期待している行動を取らない相手に対して何を考えるか、という文脈での話です。
わかる部分もあるかもしれない。以前に本人がこう言っていたとか、人づてにこういう考えの持ち主だと聞いたとか、そういう判断材料を入手できる場合もあるだろう。しかし、どんなにそれらしい理由を見つけたとしてもそれが今直面しているケースにそっくりそのまま当てはめてよいとは限らない。
もしかしたら、誰にも言っていないけれどプライベートで大変な問題を抱えていてそちらの対処にエネルギーの大半を割いてしまっているのかもしれない。すぐ思いつくものでも親の介護とか誰にでも起こり得る現実的な話がある。
結局のところ、本人に直接尋ねて、本人が真摯に開示してくれない限りは本当の理由はわからないものだと思う。

正しいからといって何を言ってもいいという訳ではない

自分の主張に理があるとする。相手を非難したくなることがあるとする。時と場合にもよるが、怒りの赴くままに相手を責めるのは得策ではない気がする。衝動的な行為がよくないという意味ではなく、冷静に表現を選び、言い回しに気を遣って、鋭く研ぎ澄ました言葉で相手の非を突くというのもやはりよろしくない。
以前に何かで読んだ話で「完全な円で追い詰めてはいけない」というものがあった。こちらの言い分が正しくて相手を非難する場合であっても、全く逃げ道がない完全な円、閉じた円のような論理で責めるのではなく、どこかしら隙間があいているようなそういう話の仕方をした方がよい、ということだったと記憶している。
ここでいう隙間というのは、言い訳や言い逃れができる余地かもしれないし、実際に言ってくることはなかったとしても反論や自己弁護をする余地かもしれない。