構造と仮説の話
いきなりですが例え話です。
スキーの個人競技の選手がいるとして、以下のような状況だとしましょう。
- 競技人口は多く、競争が激しい。 - 大会でよい成績を残せば、より大きな大会に出場できる。 - 有望な選手にはスキー用具の会社がスポンサーとして支援することがある。 - 例えば、最新の用具の提供や金銭的なサポートなど。 - つまり競争相手と比べて有利な環境で活動できる。 - スキーの競技人口は十分に多く、毎年安定的に新しい選手が参入している。 - つまりスキー用具の会社は競技人口の拡大のために働きかける必要はないものとする
自分にスポンサーがついてくれたら一気に有利になるし、自分以外の選手にスポンサーがついたら一気に不利になる。
もし、そういう状況だとしたら、スキー選手とスキー用具会社との間で力関係が生じますよね。選手側は相対的に弱くなり、会社側は相対的に強くなります。
選手は会社に気に入られたい・嫌われたくないでしょうし、会社は選べる立場なので同じくらいの能力の選手が複数いたなら最も従順な選手をスポンサードの対象とするでしょう。
(会社のスポンサードは慈善事業ではないので自社商品を宣伝してくれる、魅力を伝えてくれることを期待しています)
では、その力関係の傾きが大きくなるのはどういうときで、反対に傾きが小さくなる、つまり対等に近くなるのはどういうときか、考えてみましょう。
力関係の傾きは何によって変化するか
需要と供給
一番わかりやすいのは需要と供給の差、つまり数量的な不均衡がある場合でしょうか。
- 同じ能力の選手が 100 人に対して会社が 4 社ある場合(25人/1社あたり)
- 同じ能力の選手が 600 人に対して会社が 6 社ある場合(100人/1社あたり)
この 2 つのパターンで比較したら後者の方が選手が弱くなるでしょう。
逆に、例えばダントツ世界一位の能力を持っている選手であれば、同じ能力の選手は他にいません。だから会社の数が何社であったとしても、力関係の傾きが逆転して選手の方が選べる立場になるはずです。
支援内容の貴重さ
力関係の傾きに作用する要素としてもう一つ考えられるのは、会社が支援する内容が選手にとって重要なものかどうか、です。
例えば、そのスキー競技において勝負を左右する要因として、板やウェアなどの用具の差が大きな割合を占めるのか、あるいは選手個人の身体能力の方が重要なのか。比較すれば前者の方が選手の立場は弱くなりますね。
他の例としては、もし雪山で練習するために必要な費用が高額だとしたら、金銭的サポートを受けられるかどうかによって選手間の有利不利が大きく変わってくるでしょう。
環境による差異
また、選手がおかれている環境(地理的な位置など)によってもスポンサーからの支援の重要さの度合いは変化する可能性があります。
例えば、東京に住んでいる選手の場合、最寄りのスキー場は新潟で車で片道 2 時間かかります。往復で 4 時間ですから、そうそう気軽には行けません。週末に行って 1 泊か 2 泊して集中的に滑るのが最善の方法かもしれません。
一方で、札幌に住んでいる選手は最寄りのスキー場まで車で片道 30 分で行けるので、平日でも仕事終わりに直行して 2, 3 時間滑ることが可能でしょう。週末も朝から晩まで滑ったとしても 30 分で帰れるなら宿泊は不要なので、お金はそんなにかかりません。
そういう状況だとしたら、「スポンサーの支援を失うと自分が不利になる」と感じるプレッシャーは札幌の選手の方が小さいでしょう。
各要素を変えて考えてみる
こうやって、登場する様々な要素について「多かったらどうなる?」とか「近かったらどうなる?」ということを考えてみると、見えてくるものがあります。
それも登場人物それぞれの立場に立って「この要素が○○だとしたら、この人は嬉しい?それとも嬉しくない?」というふうに想像してみると、大まかな構造について理解することができます。
より正確に言うと「理解することができる」ではなく「仮説を立てることができる」ですね。実際のところ、どの要因がどう影響しているのかは当事者でなければわかりません。
内情を知る人物にアクセスできない、私たちのような外野は実際に起こったことをある程度うまく説明できるような仮説(別の表現をすると、観測できる事実と整合する仮説)を立てられれば、それで OK です。
余談
上でいうところの様々な要素について「変数」という言い方をする人もいます。
数学の方程式のイメージですね。例えば y = 4x + 30
であれば、変数 x
にどういう値が入るかによって y
の値が変わります。
現実の事象はもっともっと複雑なので、きれいな式を立てることはできませんが、複数の変数が関係していて、どの変数が大きな影響を与えているのかを考える必要があるという点では数学と共通していると言ってもよさそうです。