今年の 1 月 1 日からやめたことが 2 つある。
今までは、世の中のニュースを確認したり、何か面白そうな記事はないかと探す目的で、毎日 Twitter のトップ画面とはてなブックマークのトップ画面を眺めていたし、それがすっかり習慣となっていた。
現在はその習慣を捨て去り、Twitter はいくつかのアカウントについてブラウザのブックマークから直接開いて確認することがたまにある程度で、はてなブックマークは全く見ることがなくなった。いや、全くとは言えないか、ブックマークとしては利用しているので何かの記事を読んでいてブックマークとして追加した際に他の人のコメントを眺めることがごくたまにある。はてブのトップ画面に自分からアクセスすることは全くなくなったけれど。
やめた理由
その理由は共通していて、一言でいうと「ネガティブなものから遠ざかるため」である。
ここでいうネガティブなものというのは、例えば怒り、悲しみ、不安、恐怖、羨望、劣等感、蔑視などの感情を惹き起こすもの、惹き起こす可能性があるもの、そういう話題、そういう情報のことを指している。
そういった情報に触れることで、たとえ一時的にでも自身の感情がネガティブ寄りになるのは百害あって一利なし、と考えるようになったのだ。
自分にそのつもりが無くても受動的に目にする・耳にすることはあり得るが、自ら能動的に覗きにいくのは全くナンセンスというか無益、割に合わないことであり、それが習慣化しているのはまずいだろう、と今では思っている。
Twitter がなければアクセスできなかった情報の価値を考えると「Twitter 自体が悪いわけではない」という思いも半分はあるのだけれど、もう半分は「Twitter 自体も悪い(だから離れるべき)」と考えている。
ネガティブな話題が拡散しやすく、そこに意見を述べたり、批判したり、ツッコミを入れたりすることで反応が得られたり、その投稿がまた拡散していくような造りになっているので、そういったものがどうしても視界に入ってくる。
Twitter のトップ画面を見るとほぼ確実に、いま注目を集めているネガティブな話題が表示されるので、絶対に見ないようにしている。
そして各アカウントも特定の話題についてのみ投稿すると決まっているわけではないので、ときには全く違う話題について言及していることがある。だから、例えばプログラミングのことについての投稿を読みたくてフォローしている人が全く別の分野の炎上騒動について物申していたりするし、もちろんそれが悪いわけでもない(各人は自由に投稿すべきだ)。
Twitter を覗く以上そういったネガティブ投稿を完全に避ける術はないので、自分からできるだけ距離を取るようになったということ。
あなたがフォローしているアカウント、その選定が悪いと言われればそれはそうなのだけれど、トップ画面では自分がフォローしていなくてもその時点で注目を集めているツイートが表示されるようになっている(昔は違ったよね)ので、フォローするアカウントを選び直したところで大して変わりはないと思う。
かわいい猫ちゃんの写真とか、ほっこりする話とか、そういう話題であればどんどん表示してほしいんだけどね。
はてなブックマーク
こちらもネガティブ情報が渦巻いているのは私が説明しなくてもわかると思う。多分。
ネガティブ < ポジティブ
まぁとにかく、ネガティブを避けてポジティブに寄っていくことが重要だよな、とあらためて実感したのであった。
- ネガティブ:例えば、怒り、悲しみ、不安、恐怖、羨望、劣等感、蔑視など
- ポジティブ:例えば、感謝、喜び、希望、愛情、興奮、安心、自信など
感情は伝染するから、自分がネガティブだと隣の人もその影響を受けるし、逆もまた然り。 自分がどういう感情でいるかは自分で選ぶもの、選べるものなので、私はポジティブ推しでいくことにした。
まー、これを読んだところで「何言ってんだ??」と思われることの方が多いだろうし、それはわかっているんだけど。 それでも、ネガティブを避けてポジティブ推し、という姿勢をとることが地味に大事だということを伝えたい。